婆ちゃん

12月17日(土)15:15、祖母が天国に旅立った。享年89歳。僕は仕事中に父から電話で悲報を知らされた。
とても天気が良くて、あまりにも気持ちの良い青空は祖母の死を嘘のように感じさせていた。
祖母の命が短いことは知っていたし、覚悟もしていたから、取り乱すこともなかったけど、祖母の亡骸を見たら、寂しくなったし、やっぱり悲しかった。
痩せて小さくなった姿に昔の面影をあまり感じなくなったけど、改めて近くで顔を見つめていると、「婆ちゃん」だと実感した。

18日(日)の本通夜式では、祖母を偲ぶために遠方から親戚も駆け付けた。祖母が8人兄妹の5番目だったことを初めて知った、最近の祖母とは「仕事はどうだ?」とか「孫はいつだ?」という話しかしなかった。僕が小さい頃も「学校はどうだ?」とか「将来は何になりたいの?」とか、そんな話ばかりで、兄妹の話をかされたことは無かったし、僕もこの年齢になるまで、祖母のエピソードを気にも留めていなかった。

19日(月)告別式。無意識にこの日が祖母との別れになると感じていたからだと思う、すごく寂しかった。喪主である祖母の長男にかわり、次男である親父が挨拶を述べたとき、ほんの一瞬だったけど、こらえきれず言葉を詰まらせて泣いた。親父は35歳で父を亡くし、それ以降、親父の親は祖母だけとなった。仕事で転勤族だったから、祖母とは頻繁に会えなかったけど、退職してから週に1度は祖母に会いに行っていた。祖母が亡くなり、さっぱりした様子を見せていた親父だけど、やっぱり辛かったんだと思う。
親父の気持ちが計り知れない一方で、いつか僕にも親父の気持ちがわかるときが来るのだとも感じた。そんな日なんて一生来てほしくないけど…。きっと、その時はこの日の親父の姿を思い出すに違いない。

小さい頃から、「婆ちゃん」は「あれしろ、これしろ」と、とにかくうるさかった。
従姉が亡くなったとき、名前を叫び「なんでこんな姿で戻ってくるんだ」と泣き叫んでいた。
僕が嫁を連れて結婚の報告に行ったとき、泣いて喜んだ。
見舞いに行ったとき、僕の名前を忘れていた。「助けてください」と泣いていた。
最後に皆で集まったときに辛そうな声で僕を「こうちゃん」と呼んでくれた。

「婆ちゃん」はもうあの家に居ないと思うとすごく寂しい。ひ孫の顔を見せてやれなくて残念。
しばらくは「婆ちゃん」の思い出に寄り添いながら過ごそうと思っているから、まだ「さようなら」は言わない。

そして、「婆ちゃん」を最期まで温かく、根気強くお世話をしてくださった、施設の皆さんに感謝したい。霊柩車が施設の前通過するとき、急いで出てきた職員が最後まで
手を合わせてくれていた。その姿が本当に嬉しかったし、ありがたかった。
家族のフォローをしていただき、本当にありがとうございました。